Santenの歴史

1890年~1950年

Santenの始まり

1890年(明治23年)に田口謙吉が個人商店の田口参天堂を開業したのがSantenの始まりです。1914年(大正3年)に合資会社参天堂として法人化を行い、三田忠幸が共同経営者として本格的に経営に携わりました。その後、1925年(大正14年)に参天堂株式会社を設立し、三田忠幸が初代社長として、Santenの発展の礎を築きました。現在、医療用眼科薬(目薬)の売上高が全体の9割以上を占め、国内トップ、世界有数の眼科薬メーカーとなりました。創業から9年後、初期の成長を支えたヒット商品、「大学目薬」を発売。「大学目薬」は初代製品の発売から100年以上が経過した現在でも、日本でいちばんのロングセラー目薬としてそのブランドが引き継がれています。

1890年(明治23年)

創業と「ヘブリン丸」の発売

この年、大阪北浜に田口参天堂が開業し、当社としての第一歩が記されました。開業当時の主力製品は、「ヘブリン丸」というかぜ薬でした。.
1899年(明治32年)

「大学目薬」を発売

明治初期、来日した外国人医師は一様に日本人に眼病が多いのに驚いたといいます。それほどまでに当時、日本には目薬に対する大きな需要があったのです。そこに登場したのが、「大学目薬」。「世の進むに従い、目薬にもこんな立派なものができました」という自信に満ちあふれた宣伝コピーと、権威ある大学教授をイメージさせる、ひげとメガネの博士の商標で、たちまち日本全国に広まりました。
1925年(大正14年)参天堂株式会社

参天堂株式会社を設立

三田忠幸が初代社長に就任
事業を発展させるため参天堂株式会社を設立。初代社長に三田忠幸が就任しました。当時の取扱品目には、「ヘブリン丸」、「大学目薬」、「参天セキ薬」、便秘薬の「健通丸」などがありました。
1935年(昭和10年)淀川工場

淀川工場を開設

大阪市東淀川区に淀川工場を開設、のちに本社所在地となります。当時の製造品目は、目薬、メンソールクリーム、胃散、胃腸錠、解熱錠、駆虫薬、下痢止め、腹痛錠、せき薬、外傷薬などでした。
1944年(昭和19年)昭和20年代の淀川工場

三田良蔵が社長に就任

本社を淀川工場に移転
第二次世界大戦下の空襲により、本社、高麗橋工場、中崎町工場、桜川工場を焼失。本社を淀川工場の敷地に移転しました。
1945年(昭和20年)

社名を参天堂製薬株式会社に変更

事業内容を明確にするため、商号に製薬の名称を入れ、参天堂製薬株式会社に変更しました。